30〜ロスチャイルド

唇を固く結んで、匠はその場に座り込んだ形のマリエルを見下ろしていた。戦いの途中まで浮かべていたような微笑みはなかった。かといって怒っている様子でもない。ただ荒く息をしながら無表情で右腕を押さえていた。
マリエルの目尻にはいつの間にか涙が浮かんでいた。両手を地面につけ、土下座から顔を上げたような格好で軽く鼻をすする。
見つめあったままでマリエルは口を動かした。信じられないくらいにか細い声が漏れる。
「私を……私という存在を、壊してくれる……?」
マリエルの瞳がすがるような眼差しに変わる。揺るぎない信念と決意で生きてきた<革命魔女>は、そこにはいなかった。全てを失って、絶望に打ちひしがれる事すら終わった、ただのか弱い少女がいるだけだった。
戦いが終わって、行くべき場所も失い、帰るべき場所も失い、待っていてくれる者もいない。命を賭けてまで従った決意は達成されず、ただ命だけが残ったのだ。風切羽をもがれた渡り鳥のように、空を見上げただ朽ちていくのを待つだけの命に、いったいどれだけの価値があるというのか。
「ね……? いいでしょう……?」
マリエルの手の甲に一つ、また一つと雫が落ちる。
「イヤだね」
苛立ちを隠そうともせずに、匠がしゃがみ込んでマリエルの襟元を掴んだ。
「何でお前は変わろうとしない?」
細くなった瞳がまっすぐにマリエルを射抜く。
マリエルは匠から逃れるように瞳を閉じた。
「変わろうと、したじゃない……でも変わろうとして、変われなかったんじゃない……」
「故郷の世界にも行けない、この世界にもいれない、そんでそれか──はっ、随分と簡単な生き方だな」
閉じた瞳からでも容赦なく涙は溢れてくる。マリエルは片手で軽く拭って、そのまま右目に強く押し付けるように手を止めた。
「だって、これ以上、私何も、出来ないもの……」
「変わらねーから出来ねえんだ」
「出来ないから、変われないのよ……? もう、私が私として出来る事は、何も……」
むせ返るように再び漏れる嗚咽に、匠は襟から手を離した。そして顔を押さえた右手を掴んで目を見るように仕向ける。
「お前さっき戦ってる時俺になんて言ったよ? その手を離しなさいって──そう言わなかったか?」
知らず手を掴む力が上がり、マリエルは痛そうに顔をしかめたが、匠は気にも留めなかった。
「とても俺を倒して故郷に行くって台詞じゃあないよな?」
「そんなこと……ないわ。私は、今でも望んでる」
匠の手を振り解いて、少しだけマリエルの語気が強まった。
匠は舌打ちも露骨に、勢いよく立ち上がる。
「もう事は終わったんだ! お前が望もうが行けねえもんは行けねえ!! いいかげん後ろめたい事ばっか言ってんじゃねえよ!!」
「じゃあ、私に、どうしろって言うのよ……!」
「知るか。自分で考えろ」
赤い髪を振り乱すマリエルに、匠はにべもなく背を向けた。そして歩きかけて、何かを思い出したように立ち止まった。
「──そうだ。言づてがあったんだ」
少しだけ振り返って匠が言う。
マリエルは涙でぐしゃぐしゃになった顔に、ほんの僅か疑問の表情を作った。
「私が死んだのは君のせいじゃない。──宗治のおっさんからだ」
「…………うそ……」
「まあ信じなくてもいいけどな。ただこの世界に少しでも未練があるんなら、よく考えるんだね」
ほんの一瞬だけ、匠が笑った。少し悲しげにも見えるその笑みには、憂い、あるいは憐憫、もしくは逆説すれば希望が見て取れた。
凪の方へと歩き出した匠の背中を、マリエルは目で追った。その瞳からは相も変わらず塞き止められない涙が溢れている。
マリエルはもう一度声に出して、泣いた。

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