27〜残された者へ

「こっちは終わりだよ」
しばらく歩き続けた絶対基準隣人は、奇跡の粒子達の中に浮かび上がった人影に近づきながらそう呟いた。
「ああ。苦労を掛ける」
やがて影がはっきりと輪郭を形作った。
桐崎宗治がそこに佇んでいた。横には<嘘憑き>の先もいる。その後ろには巨大な門が外側に向かって開いたままになっていた。そう、ここは母胎門の内側だった。
「なあに別にいいさ。君が支配者としての責任を果たし奇跡を内側から封じてくれていたんだ、これは私の感謝の気持ちだよ」
「いや……私がこうなったのは至極個人的な意思だったのだ」
絶対基準隣人の言葉に、しかし宗治は自分を責めるように首を振った。
「まあ君の意思がどうであれ、君が紬町を守り続けてきた事は事実だ。そう嘆く事もないだろう宗治」
「うんそうだよ、宗治んらしくないんだよー」
先にまで言われては形無しだった。宗治は蓄えた髭を撫でながら少しだけ微笑んだ。
「しかし……」
宗治が二人を交互に見回して呟く。
「どうして翁がここに来ると分かったのだ? 奇跡は封印されたと思ったのだが」
「ああ、それはだねえ……」
と、絶対基準隣人がそっと母胎門の向こうへ逃げようとしていた先の首根っこを掴み上げた。
「痛い、痛いんだよお!」
「この<嘘憑き>君は先天的に嘘つきだっただけじゃあなくて、後天的にも嘘つきだったって事さ」
気味の悪い笑い声を上げる絶対基準隣人の手を逃れて、地面に降り立った先が乱れた服を直しながら頬を膨らませた。
「もう、グレイんひどいよお!」
先が拳を握って抗議するが、それでも絶対基準隣人は笑うのを止めない。
「どういう事だ……?」
二人のやり取りについていけず、宗治が半眼になって呻いた。絶対基準隣人は悪い悪い、と謝ったが笑うのを止めるつもりはないらしい。
笑いながら絶対基準隣人が口を開いた。
「いや、ほんとにすまないね。ようするにだ、この子は予言の類は出来ないと言っていたが、それが既に嘘だった、って事なのさ」
それは宗治も勿論知らない事だった。あまり表情を変えた事がない彼もさすがにこれには驚いた。驚きのあまり思わず一歩引いて、その拍子に帽子が落ちた。
「何だよお宗治んまで!!」
「いや、すまない……そこから嘘だったとは思わなくてな……しかし予言、か……」
「黙ってて悪いとは思ったけど──でも」
と、そこで先が俯いてしまった。そして少し覇気の失せたトーンで続けた。
「未来なんか知ってもいい事なんてないんだよ……」
目の端に涙を浮かべる先の頭に、優しく手が置かれた。
「そうだな、本当にすまない」
先は宗治の骨ばった手を握ってうん、と返した。さすが子供、声がもう明るさを取り戻している。
「それにしてもどうして予言をする気になったんだい?」
絶対基準隣人がそこだけは分からないらしく、顎に手を当てて先に訊ねた。細長い体躯の為上体を曲げただけで先の視界一面が薄暗くなった。
先は少しだけ逡巡して、恥ずかしそうに口を開いた。
「だってえー……完全勝利したいじゃんっ。……凪んは僕に名前をくれたんだよ。嬉しかったんだ」
顔を上げた先は満面の笑みだった。絶対基準隣人はなるほどねえ、と納得して楔を軽く摘んだ。
「まあなんにせよ後始末ってのは誰かがやらなくちゃいけないものだからねえ。がらくたも魔女も気づいていないんじゃあ僕達がやるしかないのさ」
そう言うと絶対基準隣人は先を促して母胎門の方へと歩き始めた。
「では宗治。幾久しくお元気で、なんてねえ」
絶対基準隣人の冗句に、宗治も笑って返した。
「もう誰も来ない事を祈っているさ。二人とも、元気でな」
「寂しいなあ……宗治んー」
「まあ一日しか生きられない星とはいえ、私の肉体はこの通り奇跡と同化している」
宗治が腕を水平に上げて、身体が透き通っている事を改めて見せる。
「だからもしまた奇跡が起こったら会えるだろう」
「はははそれはもう御免だねえ宗治」
絶対基準隣人が扉の前で振り返りもせずに片手だけ挙げた。先は後をついていきながらも、
「じゃあその時まで元気でねー!」
と振り返って手を大きく振った。
宗治は何も言わず二人に笑顔を送った。母胎門が閉じて、宗治は少し長い息を吐き出した。
少しだけ騒がしかった世界に、再び静寂が戻る。宗治は風に飛ばされぬよう帽子をしっかりと脇に挟むと、胸の前で手を組み合わせた。
目をつぶる。そして黙祷する。
息子の名前が二人の口から出なかった事に、宗治は若がもうこの世にいないだろうということを感じていた。
一番苦労を掛けた息子。奇跡を起こさぬようにと強く言っていた当時の自分は、なんと身勝手な存在だっただろうか。息子が死んだのは、紛れもなく自分のせいなのだ。<娘>を守る為に、間違った奇跡の場所を教えていた。しかし、自分には<娘>を見殺しにする事もまた出来なかったのだ。
曖昧な状況を残して勝手に消えて。私はなんて愚かなのだ。
「──すまない」
胸が裂かれる想いでそう呟くと、厳格な顔に一筋涙が伝った。
しばらくそうやって立ち尽くした後、宗治はゆっくりと目を開いた。薄紅の世界は静かに変わらぬ様相を見せている。
「マリー……」
もう一人の子供の名を宗治は呟いた。
せめて彼女だけは幸せになって欲しかった。

<<前目次次>>
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送