25〜一つの答え

薄紅色の空が濃度を強め夜の闇へと溶け込んでいく。まだ昼下がりだというのに、不気味な空模様だった。
「あいつ……! 先にマリエルの故郷へ行こうってのか!?」
匠は穴の淵へと駆け寄って覗き込んだが、翁の姿は勿論見当たらなかった。薄紅色の粒子は上空に漂うものを残して全て消え去っていた。この穴からはもう噴き出してはいない。凪が封印に成功したようだった。
「落ち着きなさい匠……あいつは、翁は辿り着けやしないわ」
腕を押さえながらよろよろと立ち上がって、マリエルが匠の横に並んだ。
「この世界での奇跡を諦めてマリエルの世界へ行ったんじゃないのか?」
「そうでしょうけど……さっきも言ったけど、この穴から噴き出す奇跡の粒子に乗って行かない限り、私の世界へは辿り着けないわ」
「どれだけ深いか知らねーけど、落下の衝撃に耐えられないんだっけか」
「そう、言ったっけ、私」
マリエルは穴の底へと消えた翁を嘲笑うかのように軽く鼻で笑い飛ばすと、穴の淵に腰を下ろした。
「この穴の先は別空間なのよ。奇跡の光を辿っていかない限り幾千もの分岐を越えられやしないわ」
「……なるほど」
つまりは不可能ということだった。匠は納得して軽く頷くと、ピエトロ君を拾いにいった。丁寧に汚れをはたいてから、ごめんね、などと謝っている。
マリエルは穴の底をもう一度見つめて深く息を吸い込んだ。そして目を閉じる。
「長かったな」
ふいに大きな声で匠がそう言った。背中に掛かった労いの言葉にマリエルは顔だけ向けると、
「そうね」
軽く笑ってみせた。いつの間にか匠は凪を抱き上げていた。
そして再びマリエルの方へと近づいてきた。
すぐ傍に腰を下ろした匠に向き直って、マリエルは手を伸ばした。凪の顔に細い指が触れる。
「あぁあ……う」
触れられた事に反応したわけでは決してなかったのだが、そのタイミングで凪が呻いた。
「さて……悪いけど俺はこっちについた。悪いが奇跡につきあう訳にはいかなくなった」
「奇跡が止まった今、誰もこの子なんて必要としないものね」
指の先で凪の頬を軽くつつく。匠は邪険には感じなかったようだ。
「まあな」
「そっかぁ……私はまた孤立無援か」
苦笑いとともに言葉が吐き出された。
「やけに素直じゃねえか」
「まあな」
匠の口ぶりを真似てマリエルが返す。お互い顔を見合わせて、そしてお互いに笑いあった。
「目の前に故郷への道が広がっているってのにおあずけだなんて……滑稽もいいところだわ」
と、笑うのを止めてマリエルが呟いた。穴を見つめる瞳がどんな表情を宿しているか、匠には見えなかった。
「じゃあやるか」
凪をそっと寝かせて匠が立ち上がった。マリエルは短く嘆息すると、そうね、と頷いて同じく立ち上がった。
お互いに凪から離れた場所までゆっくりと歩く。どちらも一言も発さなかった。それは再びお互いが向き合うまでの間続いた。
「やっぱり私には今更変えるなんて出来ないから」
マリエルが胸の前で両手を交差させた。
「そっか。イカす答えだ──お前らしいよ」
匠が懐に右手を入れて仁王立ちした。
そしてまた、二人は微笑みあった。

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