14〜桜が降りる:2

「え、でも危ないよ」
「そうだよ、もし何かあったら……」
「ね、入ろう?」
口々にユリエを説得する七人だったが、ユリエは頑として首を横に振り続けた。
若様第一。皆分かっていた事だったが、この状況においてもそれを堅持し続けるユリエは本当にどこまでいっても、それ以上でも以下でもなく、メイドなのだった。
改めてそれを再認識して、七人は溜め息と共に閉口した。
誰も何も言わない。
当たり前だった。こんなか弱い女の子一人置いて逃げようだなんて、誰が言えるというのか。明確に危機が分かっているのなら別だが、空がただ薄紅色なだけなのだ。それではユリエを説得するなんて絶対に無理だった。
拭えぬ不安に冷や汗を垂らしつつも、視線を交わすだけで七人は動かなかった。
「ダメだ」
忠誠心と自尊心、そして保身の間で揺れる七人の中で、一人がそのどれかを振り払って言った。ユリエの隣にいた者だった。
「ダメなんだユリエちゃん、この空はきっと危ない。確信はないけれど、でも屋内にいるに越した事はない」
そう言ってユリエの腕を取って立ち上がる。しかし、ユリエは男の腕にそっと手を置いて首を振った。
「こんな時に強情になるな、屋敷の中でだって待てるだろう」
「ダメ、なんです」
「何故!」
「もう私には待つ事しか──ってあれ……? わ、私何か大切な事を──ああ、ああ……」
答えれば答えようとするだけ思考が掻き混ぜられるユリエは、頭を押さえて俯いた。雷を恐れるかのようなそのポーズは七人に、ユリエの主に抱く思いを察知させるには充分だった。
ユリエの手を取った一人が他の者に目配せする。
全員が同時に頷いた。
「嫌です、嫌です……!」
ユリエの身体は軽々と抱きかかえられ、逃れようともがくものの全く効果はなかった。
「これは君の為なんだ、分かってくれユリエちゃん!」
テーブルから離れ七人は一斉に屋敷へ向かって走り出した。
「嫌、嫌ぁッ!」
「っ!」
と、ユリエを抱えていた男が、腕に噛まれたような痛覚を覚え思わず立ち止まった。緩んだ腕からユリエが解放され落ちる。
「な、な、何をしている!?」
噛まれた男が絶叫に近い声で自分の腕の先にいる者を見やった。
それはユリエではなく、一緒に逃げていた仲間の内の一人だった。狼狽する男に向かって噛み付いていた口をがぱぁ、と開くと、噛み合わない二本の白い歯を見せ付けるように上を見上げた。
それはもはや犬歯ではなく、牙だった。
「おい、本当にどうしちまったんだお前!」
男の声に狂ってしまった仲間は反応しなかった。
「なあみんな──」
助けを求めて見回した男の目には何も映る事はなかった。
「ひぎゃああああああっ!!!」
振り向いた男の目には、別の仲間の指が第二関節まで入り込んでいた。ずる、と引き抜くと紅く染まった丸い物が二つ地面に落ちた。
それはころころと転がり、尻餅をついたユリエの手に触れて止まった。
「いやあああああああっ!」
突然の事に何が何だか分からないまま、その丸い物から転げるように急いで離れユリエは七人を見渡した。
七人が七人共殺し合いをしていた。
仲間の目を潰した男は別の男に飛び掛って肩の皮を噛み千切っていた。噛まれた方の男は絶叫を上げながらも、仕返しにと相手の口を両手で掴んで力いっぱい上下に開いた。そのせいで悲鳴になる筈だった声はただの空気の擦れる音にしかならず、血を吐き出しながら絶命した。
また別の男達は三人で一人を骨の砕ける音が聞こえる程の強さで延々と踏み続けていた。
「あ……あ……」
何も声にならず、ただその虐殺の場面を見続けるユリエ。彼女を抱えていた男も今はもう自我を失っているらしく、目から血の涙を流しながらも殺戮に加わっていた。
ユリエは何が男達の身に起こったのかまったく分からなかった。けれども犬歯が牙のように変化し、肩甲骨の辺りも何故だか異様なまでに膨れ上がっているのを見て、直感的に空のせいだ、と思った。
よくよく見ると空中に空と同じ色の極小の粒子が舞っていた。
おかしくなりそうな頭と、予測のつかないリズムで乱れる呼吸に胸を押さえながらユリエは空を見上げた。
粉雪のように桜色の粒子が降りてきていた。

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