12〜英雄と咎人

「誰だ……?」
声には覚えがあったが、誰なのかが分からずに匠は足を止めた。振り返ると霧の中に人影がうっすらと浮かび上がってきて、段々と形を作っていった。
山高帽に灰色のスーツを着た、厳格な雰囲気を持つ白髪の老人。その細長い目は桐先若を思い出させた。
「私は桐先宗治──知らぬ名ではないだろう? 貴様こそ誰だ、この門を再び開けるなどという愚かな事を──」
はっきりと匠を見据えて、桐先宗治は言葉を詰まらせた。そして悲しいような、それでいて安堵したような顔を見せると静かに嘆息した。
「そうか君か……沖田君。私の事覚えているかね?」
「ああ。覚えてるよ。あんた死んだかと思ってたらそんな所にいたのか」
「死んだ……? ああ、死んだと言うべきだな。こんな状態だからな」
そう言って桐先宗治は掌を匠に向けた。
不思議と身体全体が薄紅に染まっている。
匠は眉を細めてその身体を注視した。よく見ると染まっているのではなく、透けていた。
「私はここでもうずっと門が開かないよう番をしてきた。奇跡は……人間には重い」
宗治がゆっくりと腰を下ろした。半透明の身体だから疲れない、という事はないようである。別段幽霊ではないのだから、当たり前かもしれない。ただ奇跡に身体を侵食されただけ、と言えばそれだけなのだろう。
「でも開かないんなら息子に教えてやればいいのに、おっさん」
「そうだな……」
厳格な顔つきが、目を閉じた事で少し和らいだ。それはもう遠い昔を思い出しているようでもあった。
「息子には苦労をかけるがね、私の娘を殺させたくはなかったんだ」
「そっか、悪かったよおっさん」
「いや、いいさ……。で、どうしてここを開け放ったんだ、君は」
宗治は咎めている訳ではないようだった。薄紅の霧を背中に受ける姿は疲れきった老人そのもので、匠は宗治がこの状況に安堵しているように見えた。解放してくれてありがとう──決して口にはしないだろうが。
「奇跡はもう始まっているんだ。今それを止めようとみんな戦ってる」
「マリーとかね?」
「いや……翁とだ」
「あやつが……。信じてマリーを任せたが、奇跡に魅せられたか……私の失態だ、すまん」
胡坐の姿勢で深々と頭を下げる宗治に、匠はいいさ、と言った。
「そのおかげで桐崎とマリーが手を組んでるんだ、まあ悪い気はしないだろ?」
「ほう、それは──嬉しいな」
宗治は二人の子供の成長に頬を緩めて喜んだ。
「翁は奇跡の力で何度も復活する。その為に奇跡を封印しようとしたんだけど、奇跡の力が強すぎるみたいなんだ」
「なるほど、それでここを開けたわけか」
察しよく答えた宗治に匠が首を縦に振る。
「そういう事。二つの<穴>が出来れば一つ一つの噴出は弱まるからね」
「なら奇跡が封印されたらこちらもまた閉じておこう」
宗治が立ち上がって帽子を取る。そして匠に帽子を投げてよこした。
「マリーに伝言を頼んでいいかね? 私が死んだのは君のせいではないと」
「分かった」
そう言って帽子を受け取ると、匠はもう走り出していた。後には宗治一人が残されたが、霧に包まれてその姿は見えなくなっていた。

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