3〜たった一人で

「いやよ」
起き上がって開口一番、マリエルは匠に背を向けてそう言った。
「どうしてこの私があんた達を治してやらなきゃならないのよ?」
縦穴から立ち昇る奇跡の光に顔を入れ、底を窺う。飛び込んでいった翁が気になるのだろう。
マリエルの目の届く限りに翁の姿は見えない。いったい何処まで降りていったのか、まさか自分よりも先に故郷の星へと辿り着いてしまったのか、考えたくない事ばかり頭に浮かぶ。
「翁は戻ってくるぞ、絶対」
そう進言する匠に、マリエルはまあそうでしょうね、と胸中で頷いた。
「……分かるよな? お前一人じゃ勝ち目はないぞ」
立ち上がれない匠が、匍匐前進の要領でマリエルへと少し近づく。
「そうかしら? さっきは油断しただけよ。次は負けないわ」
匠の方を見もせずに歯噛みする。
と、その肩を雪が掴んだ。
「何よ?」
「治しなさいよ、凪と若君を。助けてあげたじゃない」
視線がぶつかる。炎のような紅く、それでいて冷たい瞳が、雪の瞳の中に遠慮なしに進入していく。こんな瞳をいつまでも見つめていたら恐怖でどうにかなりそう──そんな思いに駆られながらも、雪は負けじと見つめ続けた。
マリエルが雪の手を払う。
「馬鹿じゃないの? 見返り求めてんじゃないってのよ」
「ふざけないで!」
平手打ちをお見舞いしようとした雪だったが、マリエルにあっさりとその手を掴まれてしまった。
「……ふん、邪魔なのよ」
手を離し、それから消えなさい、と付け加える。それだけで何もしなかった。
マリエルの頭の中は今翁の事でいっぱいだった。
他の者達に構っている暇などないのだ。雪は裏切られた気分でしかないが、そのおかげで雪の命は救われたのだった。勿論、雪自身は知る由もないが。
「もういい、雪さん下がった方がいい」
雪を案じて匠が指示を出す。引き下がれない、そんな顔を見せた雪だったが、匠が何か企んでいる目を見せたのでおとなしく下がった。
「俺達を治さないと後悔させるぞ、マリー」
その台詞を聞いて、匠の元へと戻る途中だった雪は思わずこけそうになった。
「負け惜しみ!?」
何か企んでいたかと思ったのに、そんな言葉しか出ないようじゃあ終わりなんじゃ──雪は心の底からそう思った。
「違うって雪さん。──本当はマリーも分かってるんだ」
わざと聞こえるように語尾を高める匠。
「翁に勝てない、そのくらい初撃を受けた時点で明白だ。それでも俺達と力を合わせようとしないのは──」
「うるさいっ!!」
場の空気が振動するくらいの声をあげて、マリエルが振り向く。それでも匠は止めない。
「この世界の誰とも、これ以上関わりたくないから。人間に敵対してまで通した自分の道を、揺らがせたくないから」
うるさい目覚まし時計を止めるかのように、頭を抱えながらマリエルが匠の元へ飛んでいく。それでも匠は止めない。
「どうせ自分は消えてしまうから──未練を残したくないんだ」
「常緑樹の涙(エヴァーグリーンズ・エンド)っ!!」
乱暴に掴み上げた腕に、マリエルはありったけの力を込めて創造力を注ぎ込んだ。
次の瞬間、大きな痙攣と共に匠の身体中が極少の火薬が破裂するような音をあげた。
「ひっ……!」
反射的に目を背ける雪。直前まで視線が捉えていた場所では、傷を負ったのがどちらか分からないくらい血飛沫が舞っていた。
マリエルのプリーツスカートの折り目の先端から血が滴る。ジャケットはより赤黒く染まり、胸元から覗くブラウスはもはや元が白だった事が分からない。荒く息を吐くその顔には、返り血がまるで涙のように一筋、目尻を伝っている。
「苦しそうだな」
致命傷を負わされた匠が、何処にそんな余力があるのかマリエルの腕を握り返し呟いた。
「黙れって……言ってんのよ……!」
押し殺すように言葉を吐き出すマリエル。それが精一杯だった。全身の血管を破裂させられた匠が憎らしいまでの不敵な笑みを向ける。

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