18〜裏切りの矛先

匠の中で、ある矛盾が頭を掻き乱して離れない。昨日から今現在に至るまで分かっていた筈なのだが、浮かれていたのか、あるいは些細な事として気にも留めていなかったのか──両方かもしれなかったが、とにかく忘れていた。明らかに、今網膜に映し出されている光景はおかしい。
マリエルは沈黙を保つ縦穴の淵に立って、奇跡が再び生まれるのを鼻歌交じりに待っている。
一方翁は髭を撫でるのを止め、公園で子供を遊ばせる親のようにマリエルを見守っていた。優しい表情は育ての親だからこそ出来るものだろう。
しかし、だとするとどうして自分はマリエルに惹かれているのか、説明がつかない。
「おい、マリー……」
マリエルを呼ぶ声に合わせて手が伸びる。しかし、その時匠の呼びかけを掻き消すように再び薄紅色の光が穴の淵から薄く、やがて濃く、眩く溢れ出した。
歓声を上げるマリエル、そして奇跡などどうでもいい、といった風にマリエルを見つめ続ける翁。奇跡の復活、それ自体は匠にとっても喜ぶべき事なのだが──
「綺麗……けど怖いよ……」
匠の横で、凪を抱きかかえながら雪が細い声で呟いた。
匠にはそれがまるで沸々と感じる違和感を代弁しているかのように聞こえた。マリエルと翁、その関係、その違和感を。
「色々あったけど──」
手を後ろに組んで振り向くマリエル。その顔は達成感に満ちていた。
「これで終わりね」
頷きを見せる翁。その後で少し溜めてから口を開いた。
「マリーや、これを持っていきなさい」
そう言って翁は御守りを差し出した。紬神社のものだろう。翁の手土産に対し、しかしマリエルは軽く首を横に振ってそれを拒絶した。
「いいわよ。私は何も持っていかない。……この名前さえあれば全てを思い出せるから」
「マリー……」
今度の呼び掛けには反応を見せた。が、匠の思いとは別の、別れの反応だった。立ち昇る薄紅の光をバックにマリエルは片手を挙げてみせる。
「何よその地味な反応? 来たければ来てもいいのよ? でも、ここでお別れを言っておくわ。奇跡に飛び込んだなら意識が続く保証はないからね」
「違うんだマリー……」
確信に至らない違和感が言葉の歯切れを悪くする。それでも、匠はなんとか一言だけ紡ぎ出した。
「離れろ、そこから」
ここに来てなんとも馬鹿な発言だと思わなくもなかったが、明確な答えが分からないのだから、仕方がないといえば仕方がなかった。けれど、それではマリエルが聞き入れる筈もないのは確かである。
「……はぁ? 何でよ? 今更何があるっていうの? ……最後まで訳分からない奴ねー」
案の定、マリエルはあきれ返った様子で眉を細めただけで、翁の方を向いてしまった。
「じゃー翁も。ま、今まで御苦労ね」
「ああ。私も子供が出来たようで幸せだったよ……」
「お別れね」
珍しく優しい笑みを向けるマリエル。
「ああ、お別れだね」
やはり優しい笑みを返す翁。
そこに殺気など、勿論ある筈がない。
しかし、ここに来てようやく、匠は確信した。
「避けろマリー!!」
「え?」
尋常じゃない様相で叫ぶ匠の声に僅かに反応してみせたマリエルだったが、既に遅かった。
薄紅の背景に黒ずんだ紅色が飛散する。

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