5〜支配者亡き後・1

その日、昼食を珍しく庭で取っていた桐崎若(きりさき・わか)は、響いてきた地鳴りに肉を切る手を休めた。何枚も重なったパストラミをこれから一気に食べるところだったのに。
桐崎は愛用の肥後守についた肉汁を布巾で拭うと、指先で回転させてから、刃をそのまま片手で折りたたみ、胸のポケットにしまいこんだ。
努めて冷静を装いながら――それでも眉が引きつるのは隠せなかったが、桐崎は横に立っているメイドのユリエに「水」と言った。
「はい、かしこまりました……ええと、何でしたっけ?」
思わずため息をつく桐崎。
「かしこまりました、はいらないと言っただろう、水だ」
「すいません! はい……」
ようやく注がれる水。
失敗に恥じらいの表情を浮かべるメイドを一瞥しながら、それでも桐崎はありがとう、と言った。
「そんな、まだまだ未熟で……何でしたっけ?」
顔はありがとうの言葉に喜ぶ表情なのに、脳がついていかない娘に、分かっていながらも桐崎はため息を漏らしてしまう。
「まあいい。さがっていいぞ。はい、だけでいいからな」
「はい……」
ユリエが後ろに下がったのを見てから、桐崎はゴブレットの水を一気に飲みつくした。
程なくして地鳴りは複数の足音へと変わり、庭の向こう、百合の庭園の方から七人のスキンヘッドが一列横隊で走ってくるのが見えた。ふと後ろを見ると、ユリナが七つのタオルを何処から取り出したのか、持っていた。
「わーかーさーまーっ!」
一番左のスキンヘッドが雄たけびを上げる。
そして七人は桐崎の所まで来ると、息もたえだえ直立し、敬礼した。
「ただいま戻りましたあ!」
「で、娘が見当たらんが……後藤」
はっ!あの、それはですね……」
一番左端の後藤と呼ばれたスキンヘッドは桐崎の静かな問いに答えることができずに、目の前のタキシード姿の自分の主に、ただ敬礼の手を震えさせるだけだった。
次の瞬間。
「暗の蛇」
座ったままの桐崎がそう言って後藤に右手を突き出した。
「か、勘弁してくださ――」
哀願の言葉すら最後まで言わせてもらえずに、後藤が見えない何かに縛り上げられていく。
それはまるでハムのようだった。筋肉質の肉体すら容易に締め上げていく、異様な光景。
他の六人は今にも泣き出しそうな顔で直立の姿勢を保っていた。
「わ、若様――」
身体に巻きつく何かが痛いのだろう、苦悶の表情を浮かべながら後藤は主の名を呼んだ。
と同時に、その何かにくくりつけられた桐崎の愛刀・肥後守が、後藤の心臓を確実に捉えて手繰り寄せられてきた。
「うおぉーっ!」
腹の底から恐怖を音声化し、身体をひくつかせる後藤。
鈍い音が微かに響く。
沈黙。
ナイフは――柄に折り畳まれたままで、後藤の胸元辺りで揺れていた。
「勘弁してやる。今回限り」
人差し指を軽く曲げる桐崎。それに反応して見えない何かは緩み、後藤は数十秒の命の審判から開放された。
沸き起こる拍手と口笛は、他の六人が上げたものだった。
ユリエもつられて拍手をしていた――持っていたタオルを落としながら。
桐崎はまたため息をつくと、肥後守を引き寄せつつ後藤に向かって、「報告しろ」と言った。
後藤は立ち上がると、ヘアブラシを取り出し、頭をひと掻きして姿勢を正した。
「はっ! 報告します! あの不法入町者の娘は、その、事もあろうに沖田の元へと逃げ込みました!」
「何だと」
眉根を寄せる桐崎。少しだけ冷静さが掻き消える。
「はい。どうやら偶然らしいんですが……」
「何故かあの偏屈が見ず知らずの娘をかくまった、と言うんだな」
「ええまあ……そうなりますね」
「ふん」
自分より少し年下の少年を思い浮かべる桐崎。
「奴らを欠落巫女(かけらみこ)と接触させるのはまずい。後藤っ!」
「はいっ!」
「至急母胎門へ行け。奴らより先に行って厳岩牢のコードを変えてこい」
「分かりました、おいお前達――」
後藤が六人のいた方を振り返ると、彼らはいつの間にかユリエの周りに集まって車座になって談笑していた。手にはタオルを持ちながら。
「今日も大変でしたねー……あれ? 何の話でしたっけ?」
「またユリエちゃーん。いい? オ・レ・タ・チの活躍の話だよ! かーわいいなあー」
「あ、俺、今日の夜飯バーベキューがいいなあ!」
後藤は文字通り、開いた口が塞がらなかった。それでも何とか取り直して怒鳴ろうとした後藤の握り拳は、六重の悲鳴によって遮られた。
額を押さえる後藤。
桐崎は悶絶する六人の部下と、両手で耳を塞いでいるユリエを冷たく一瞥すると、そのまま屋敷のほうへと去っていった。
ややあって、肥後守が折り畳まれる音がやけに大きく響いた。

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