4〜町に眠るモノ

「ほら、飲め」
アトリエの奥の部屋で、そう言って沖田が出してきたのは、ブラックのコーヒーだった。コーヒーカップだから氷は入ってないけれど、湯気は立っていない。元はホットだったろうコーヒーを見つめて、凪は嫌がらせか……と思いながらも、礼儀として一口含んだ。
予想通りぬるかった。視線で軽く訴えると沖田は察したらしく、ああ、と言った。
「悪いな、俺んちのポット、五十度くらいで沸いたと認識しちゃうみたいなんだ。はは、かわいいだろっ?」
もう……なんでこいつはがらくたばっかり集めるのかしら……。
まったくついていけない。しかしそれを口にするとまた怒りそうなので、凪は、そうねー、と軽く相槌を打った。
「で、おまえのお姉ちゃん、雪さんのことだけど」
「凪でいいよ。沖田……ええと、下は?」
「「匠(たくみ)。何でもいいぞ、呼び名なんて」
「じゃー匠」
「おう。で、だ。今雪さんは巫女の力に目をつけられて、幽閉されている。場所は、この町のちょうど真ん中、時計塔」
沖田が大体の方角を指差した。初めての町だし、家の中なので凪にはよく分からなかったが。
「うん。でも何で時計塔? 巫女と関係あるの?」
巫女と時計塔の関係性が、凪にはどうしても掴めなかった。匠もそれはもっともな質問だと思ったらしく、凪に向かって頷いてみせた。
「確かにそだな。うん、時計塔自体には用はない。問題はその下にあるんだ。雪さんはあるモノを封印しててね」
言って、沖田はコーヒーを口に運んだ。
「あるモノ?」
「ああ。よくは分かんねえ。俺が俺じゃなくなっちまうようなもん、って聞いたけどな」
「「は? 何言ってんの。そんな気が狂うようなモノ、さっさと捨てちゃえばいいじゃない。まさか……生物兵器?」
凪は昔テレビで見た最強最悪の兵器を頭に浮かべた。
「いや、物質世界のもんじゃなくて、精神世界のもんらしい……って言っても分からねえだろうな」
「なによ! 教えてよ!」
「この町は日本じゃ、いや世界のどこでもないと思った方がいい。ま、狂ってるんだ、この町は」
はっきりとしない言い方に不満が残る凪だったが、この町が何かおかしいのは確かに感じるところだった。
「分かったわ。お姉ちゃんは大変な事に巻き込まれてるわけね。じゃあさ、お姉ちゃんがいなくなって封印が解けちゃったら……」
「んーさっきも言ったけど、俺達が俺達じゃなくなるんじゃねーか?」
平然と言ってのける匠。でもどうやら嘘ではないらしい。現に凪の姉はそれを封印し続けているらしいのだから。あまりにも突拍子がないので、いまいち実感が掴めない凪だったが、それでも彼女は状況を把握しようと必死に思考を巡らせた。
「じゃ、じゃさ、お姉ちゃんを助けて、なおかつその封印してるものをどうにかする方法ってないの?」
「さあ、どうだろ?考えた事もないね」
「考えなさいよ!封印、って事は永遠じゃない、って事でしょ!」
「おおー頭いいな、おまえ。その通りだよ」
匠が心底感心したように凪を見つめた。凪は段々と腹が立ってきた。
「なんであんたは他人の事の様に平然としていられるの? いつか我が身に降りかかる事じゃない!!」
テーブルから身を乗り出し、凪は匠に迫った。
「だって別に死ぬ、なんて聞いてないんだぜ? 俺が俺でなくなる、って聞いただけだ」
「充分一大事じゃない!」
語気が強まっていく凪。沖田はうるさそうに彼女を手で制すと、急に真面目な顔になった。
「あのな、一大事だけど怖がるのは無意味なんだ。自分じゃなくなった時に、前の自分に戻りたいって思考が働くと思うか? 自分が自分じゃなくなった瞬間、ってのはもう別の存在なんだよ」
凪の目を真っ直ぐに見て沖田が言い切った。何故だか説得力があった。
「でも匠だって体験した訳じゃないんでしょう?」
「まあね。だから尚更、知らないもんに恐怖は感じないんだけど」
「そう……なのかな……」
「雪さんを助ける、それでいいじゃねえか。だろ?」
「うん……でも、ちゃんとハッピーエンドになるように助けたいな。その辺、考えよーね?」
「ああ……まあ、な」
と言いよどむ匠を横目に凪はパーカーを着込んだ。コーヒーはたっぷりと残っていたが、これ以上口にする気にはなれなかった。
「じゃ、行こ!」
「ああ」
匠はろうそくの炎のようにゆらり、と立ち上がると、じんべえの中に手を入れて、ひとっ飛びでがらくた達を飛び越えて入り口に着地した。凪はその動きに一瞬あっけに取られたが、かぶりを振って、もういちいち驚かないわ、と自分に呟き言い聞かせ、急いで後を追った。

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