3〜アトリエ・がらくた

「はぁ、今日はどうしてこんな朝から騒々しいんだ……」
沖田はペーパーナイフに息を吐きかけながら、じんべえの腰の部分でそっと拭いた。
「さて」
彼女は沖田の視線に震え上がりそうになるのを、懸命にこらえた。
「どうしてくれる? お前が壊したこいつら」
と言って、沖田は彼女の近くのピエロの操り人形を手に取った。見ると、右手の糸が切れている。蹴った時のものだろうか。
「糸が……ごめんなさい」
彼女は伏せ目がちに謝った。
「ばっか、これはお前が蹴る前からだ! それじゃねえ、こっちだこっち!」
彼女は目の前に突き出された人形を見た。が、糸が切れている以外は特に傷はない。
「どこよ」
「あぁ? ここだよここっ!」
「だから! どれよ!」
「あんだろうが! 額のとこに汚れが!」
よく見ると、白い額の部分がうっすらと汚れている。
「え、これ?」
彼女は思わず聞き返してしまった。
「そうだよ! 俺のピエトロ君の顔汚しといて、覚悟はできてんだろうな!」
「切れた糸のほうがよっぽど傷じゃないの!」
いつのまにか彼女もけんか腰になっていた。それもそうだろう、拭けば取れる汚れで怒られているのだから。それに、糸が切れている時点で商品にはならないではないか。彼女はそう思ったのだが、しかし沖田は真剣そうである。名前までつけている。
「てめぇ! これは名誉ある傷だ! 何も知らないくせに、いちいち口答えすんな!」
沖田は先程のペーパーナイフを再び取り出した。
「な、それで何しようってのよ……」
「殺す。お前、よそもんだろ」
「そうよ……それが何よ……?」
「この町には紬町治外法権ってルールがあるんだ。「この町には紬町治外法権ってルールがあるんだ。俺ともう一人だけの特権だけどな、この辺りじゃ俺がルールなんだ。警察は介入できない。まぁ、この土地のルールを知らなかったお前が悪いって事で。死んでくれ」
沖田がペーパーナイフを逆手に持ち替えた。
(何よ、本気なの……?)
この町は異常だと、彼女は改めて思った。確かにこの町には特殊な方法を使って入り込んだ。そうしなければ入れない時点で既におかしかったわけだが、それはそう、日本の中に別の国があるような、そんな感覚だった。
彼女は一瞬、沖田が冗談を言っているのかと考えもしたが、彼が初対面の自分にそんな事を言うメリットはない。
やっぱり、私は殺されようとしている――
「い……いや……」
彼女は一歩、後ずさった。何かの機械の出っ張りに肘を強くぶつけた。
痛い。しかし、今はそんなことどうでも良かった。
「私、何のために――」
「覚悟はできたか?」
彼女が呟いた瞬間、沖田の顔が目の前にあった。彼女に覚悟の間すら与えないかのように、沖田の右手が振りかぶられた。
本当に、ここで死ぬの?
「いやぁっ! おねえちゃあんっ!」
死への疑問が確信に変わった瞬間、彼女は姉を叫んだ。
死にたくない。
死にたくない。
お姉ちゃん、死にたくないよ!
彼女は姉のことをずっと考えていた。死ぬ間際にしては長すぎるほどの時間を。
やがて、彼女の耳に声が響いてきた。
「……いっ! おまえっ!」
肩を揺さぶられて、彼女は我に返った。声は沖田のものだった。
死んではいなかった。ただ、そう遠くない場所に死はまだあるようだった。
ペーパーナイフが首筋に食い込んでいる。血が彼女の肩に広がっていく。
「な……何よ……」
「おまえ、名前何だ? 答えろ」
答えなければ殺す、といったような沖田の態度に、彼女は首を動かさないように「春日凪(かすが・なぎ)よ」と答えた。
喋るだけで食い込んだナイフを刺激してしまうらしく、鋭い痛みが彼女、凪の全身を走り抜けた。
凪は歯を食いしばって悲鳴を喉にしまい込んだ。叫んだりしたら殺される、そう思ったからだった。
「そう、か」
沖田は短く呟くとナイフを勢いよく引き、次いで左手で思いっきり凪の傷の部分を叩いた。
「痛っ! ……くない?」
凪はまたもや何が起こったのか分からなかった。恐る恐る首筋に手を当ててみると、何だかシップ薬のようなモノが張ってあった。
「悪かったな」
さっきまでとは違う、明るい声が上から掛かった。
見上げると、あの冷たい視線はどこへやら、沖田の顔は年相応の少年の笑顔に戻っていた。
「おまえがまさか雪さんの妹だったなんて分からなかったからさ」
そう言って沖田が凪に手を差し出してきた。
「お姉ちゃんの居場所、知ってるの?」
凪は傷の事も、差し出された手の事も忘れて勢いよく立ち上がった。
詰め寄る凪を横目に、沖田は差し出した手を寂しそうに戻した。

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