34〜朝露に混じって

「ん……ふぁ……」
差し込む光にようやく目を覚ましたユリエは、自分がいつものベッドの上でもなく、病棟にいる訳でもない事に仰向けのまま首を傾げた。何故か時計塔前の広場のベンチの上にいるのだ。日の光を浴びていっそう重厚にそびえ立つ時計塔。昨晩の雨が嘘のように、空には雲1つ見当たらない。あたりに人影がない事から、早朝だと認識する。
「私……なんでここに……」
身体を起こすとかけられていたのだろう、タキシードが地面に落ちた。
「絶対基準さんの? 後藤さんは──ってあれ?」
いろいろな顔が思い浮かんだが、最後まで口にした時にはその全てを忘れていた。
次に考えたのは着替えなきゃ、と病棟に戻らなきゃ、だった。幸い風邪は引かなかったものの、全身ずぶ濡れになってしまったらしく、ブラウスが肌にぺったりと張り付いて心地悪い事この上ない。
健康管理はメイドとして第一だ。風邪などひいて寝込んでしまうのは勿論の事、主に移してしまおうものなら大変だ、とユリエは立ち上がった。
タキシードを丁寧に両手で畳んで腕に掛け、空いている手で軽く髪を梳く。指に絡まって少し溜め息。
気を取り直してユリエは時計塔の裏手の方へと歩き出した。裏手は整地されてなくちょっとした雑木林になっている。地面はぬかるんでいるが、こちらから帰った方が早いので、ユリエは構わず進んだ。
朝食のデザートをまだ作ってなかったなどと考えながら煉瓦造りの壁に沿って歩いていると、前の方で扉が開く音がした。裏口の戸である。
思わず足を止めるユリエ。ずぶ濡れの姿を他人に見られたくないので、少し戻って木の陰に隠れる。
管理人さんかしらと思って見ていると、そこから出てきたのは何と桐崎だった。
もう十何時間も姿を見る事の出来なかった主にこんな場所で出会えるとは、なんて素敵な偶然なのだろうとユリエは声を上げて駆け出そうとした。
しかし、その後に続く人物を見てユリエは挙げかけた右手を止めた。欠落巫女の、そして婚約者の雪が<歩いて>いたのだ。何故か分からないが、凪も雪に支えられて一緒にいる。
3人はユリエに気づく事無く、雑木林の奥へと消えていった。
ユリエはしばらく動けなかった。幹に寄り掛かって呆然と立ち尽くす。
風が吹き、葉のざわめきが通り過ぎると、朝露が一雫ユリエの頬を打った。するとそれに呼応するかのように、涙が一筋頬を伝い朝露と混ざり合って足元へと零れた。
どうして涙が溢れ出したのか──ユリエは分からなかった。傍にいてあげるべき人が戻ったのだから、それはとても喜ばしい事で祝福するべき事なのに。
ぶんぶん、とユリエは首を振って嫌な考えを追い出した。主の幸せを願って止まないのは確かだった。だからこそ、ユリエは手を振って出て行かなかったのだ。
これでいいの、と強く思って更に反芻する。
木の陰から顔を出し、桐崎が消えていった方角を見つめる。
少しの間そうやって佇んで、それから消え入りそうな微笑みを浮かべると、ユリエは静かに来た道を引き返していった。

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