32〜迎えた終わりに

一方その頃、同じ地下空間の奥では1人の少女が世界に別れを告げようとしていた。
「準備は……いいか……?」
母胎門の前、雪が使用していた印とは別に、石で刻まれた直径3メートル程の円の中心に、雪と向かい合う形で正座をして凪は桐崎に向かって小さく頷いた。
匠に受けた電撃で傷が開いてしまっているのだろう、全身に巻かれた包帯のあちこちが赤く滲んでいる桐崎は、素人目に見ても絶対安静にしてなければいけないのだと分かる。
「どんな事があっても、この円から絶対に出るな……。あくまで目安だが……力を引き継いでいる間、それ以上離れたら術式は失敗すると思ってくれ……」
「分かった、まかせて」
とは言ったものの、実のところ凪は不安でたまらなかった。姉が失った五感を引き継いだら本当に姉は助かるのか、そして本当に姉は幸せになれるのか。
桐崎を見やるが、彼は凪と壁の間に立っている為、逆光で表情はまったく分からなかった。
「本当に……お姉ちゃんは元気になるんだよね?」
「くどいな。君が欠落巫女になれば……絶対に雪は元気になると、言ってるだろう」
「私には確認のしようがないもの」
「確かにそうだが、信じてくれ」
ていよく利用されるのだけは御免だった。屋敷にいた時はあれほどみんなで結束していたのに、今は騙したり騙されたりして、いったいどうしてこんな事になってしまったのか。
奇跡とやらを起こそうとする者、そしてそれを止めようとする者。たった2つの目的しかないのに、心はみんなばらばらだ。
(そして私は何も知らない)
姉を助けたい。
真実を知りたい。
「ねえ……ちょっとこっちに来て」
「どうした……?」
訝りながらも近づいてくる桐崎を見上げ、凪は何も言わずただじっと見つめ続ける。
「うん、もういいよ」
疑問符を浮かべながらも、凪の言葉に桐崎は1歩後退した。
目を閉じる。
これから自分の身体に起こる事は、この世界で今見えている、聞こえている、触っている、感じている全てとの永遠の別れだ。結局は利用される事になってしまうのかもしれなかったが、それでも今よりは真実に近づける、そんな気はした。それに姉はきっと助かる。嘘は言っていない目だった、と凪は思う。
「……いいよ。始めて」
何か、頭の中でこんがらがっていた事が全て綺麗に片付いたかのような、そんな感覚。
自分のこれからの事、姉の身体の事、姉と桐崎のこれからの事、匠の事、マリエルの事、奇跡の事、友達の事、果ては実家に残してきたペットの事。
整然とされた訳ではまったくなかったが、つまるところどうでもよくなったとでも言えばいいのか、とにかく妙に晴れやかな気分だった。
──まるで死んでしまうみたいだ──
死。
果たして今から私の身に降りかかる出来事は、死とどれほど違うというのだろうか。生きているとはいえ五感の全てを失ってしまう事は、死んでいるのと同じ事ではないのだろうか。
胸の奥に、黒い小さなシミが出来た気がした。
(え──)
凪は必死でそれを払拭しようとした。しかしいくら頑張っても、消えるどころかどんどん広まっていく。強く願って消そうと試みても、消した傍からすぐに黒いシミはまた生まれて、心を侵食していく。このままでは心が黒く塗りつぶされてしまうのも時間の問題だった。
「早くしてっ!!」
凪はあらん限りの声で叫んだ。
瞼を閉じ、唇を強く結び、雪の手をぎゅっと握りしめて、震える全身を押さえ込む。
「あ、ああ……分かった、そのままでいてくれ……」
凪の様子に驚いた桐崎も、努めて冷静に答える。
「早く……!」
喉の奥から絞り出すように声を上げて、凪は一秒がとてつもなく長く感じる時間の中待ち続けた。
「今私の血を君達の手に垂らした……。これから私が雪から、力を逆流させるから、決して、手を放すんじゃないぞ……」
「うん……!」
「ではいくぞ──」
「ねえ、桐崎さん……」
気力を振り絞って目を開いて、凪は震える声を上げた。
「何だ……?」
「お姉、ちゃんの、事、愛してあげ、て、くださ、いね」
想いが頬を伝って、いつの間にか涙声になっていた。それでも何とか笑顔でいられたのは、その想い故だった。
「……ああ」
優しく笑顔を返す桐崎。
「それじゃあ……っ、おねがい、します……!」
そう言って再び目を閉じる。これ以上開けていたら自分で自分が嫌いになるくらい、どんどん醜くなっていきそうだったからだ。そうなる前に、凪は世界との別れの第1歩を踏み出したのだった。
「いくぞ──」
桐崎の台詞と同時に、凪は雪の手から言葉では言い表せない力が流れてくるのを感じた。それはとても強く、必死で握っていなければ離れてしまいそうだった。そしてそれを邪魔するかのように、恐怖という名の黒いシミはここへ来て一気にその侵食の範囲を広げようと凪に襲い掛かった。
(嫌だ、死にたくないよ……!)
手を放したい、目を開きたい、悲鳴を上げたい。そういった願いが沸々と凪の心に沸き起こる。
(助けて、お姉ちゃん……!)
と、姉の顔が脳裏に浮かぶ。その顔はひどく苦しんでおり、今にも死んでしまうのではないか、という程だった。
(お姉ちゃん……)
そこで気づく。姉を助けたくてこうしているのに、姉に助けを求めている馬鹿な自分に。
(ごめんね、お姉ちゃん。いつも頼ってばっかで。今度は私が助けてあげるからね──)
少しだけ、ほんの少しだけ、冷静になれた。
いまだ恐怖は凪の心深くに襲い掛かっていたが、凪はもう決してその手を放さないと、まだ少し残っている自分の勇気に誓った。

「頑張れ──」

その声は誰のものだったか──最期にその言葉が聞こえて、凪の世界は終わりを迎えた。

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