19〜深遠なる決意

薄れゆく意識に必死に抗う後藤を覚醒へと至らせたのは、病室から聞こえてきた由香里の言葉だった。
(若様が部屋にいないだと?)
それは後藤に再び立ち上がらせるだけの力を持っていた。肘をつき、それから手を使って揺らぐ身体のバランスを取り、ようやく立ち膝になる。
全身を使って一息、一息と落ち着ける。呼吸する度に背中の銃創から血が溢れたが、そんな事はもはやどうでもよかった。自分の主はいつの間に消えたのか。考えられるのはトイレに立った数分の間だけである。
そうなのだろう、と理解する。敢えて誰もいない時間を狙ったのは、誰かに見咎められている時間すら惜しかったからなのだろう。見つけたら、自分は確かに止める。この町に残された時間があと僅かだと悟っていたのだ、偉大な主は。
では何処へ行ったのか。後藤は思考を巡らす。
(決まっている、欠落巫女だ)
だが肝心のその場所は分かっていない。だとすると。
(先生のところか)
きっとそうだろう。知らない事があるのなら、知っている者に教えてもらえばいいのだ。
だが今から追いかけても間に合わないだろう。トイレから戻ってきてから既に10分は経っている。仮に追いつけたとしても、自分に何が出来るのかを考えると笑いさえ込み上げてきそうだった。
「ユリエ、おいユリエ」
壁にもたれるように気を失っているユリエの頬を軽く叩く。
「あ……後藤さん……」
「大丈夫か?」
「はい……何とか……うっ!」
「動くな……至近距離から撃たれたんだ」
「でも若様が……!」
後藤は涙を零しながら立ち上がろうとするユリエの肩を押さえつけ、そのまま戻した。
「若様に……会いたいか?」
「勿論……です」
「そうか」
後藤はそれだけ呟くと、壁にもたれるユリエの首と膝の後ろに手を入れた。そして抱きかかえると、歯を食いしばって立ち上がった。
「後藤さん?」
「いいから、しっかりつかまっていてくれよ……!」
前を向いてよろよろと歩き出す後藤。ユリエはそんな決意に目覚めた顔を見上げ、はいと呟いて太い腕に絡ませた両手に力を込めた。
エレベーターで1階まで降りて、消灯したエントランスホールを突き抜ける。作動しない自動ドアを右手と足でこじ開け外に出ると、十何時間ぶりの外気が心地よく吹き抜けていった。雨は弱まるそぶりを見せる事なく降り続いていたが、後藤はお構いなしに歩き出した。
「すまんな……傘壊してしまったんだ。ちょっとの辛抱だ、我慢してくれ」
「どこ行くんですか……?」
「若様のところだ。若様、病院を抜け出してしまったらしくてな」
「そんな……若様今動いちゃいけない──ってあれ……今私……とっても大事な事……?」
思った事を口に出来ないユリエを見下ろし、後藤は優しく微笑んだ。
「大丈夫、大丈夫だから……少しの間目をつぶっていればすぐに会えるから……」
「分かりました……」
ユリエは微笑みを返すと、後藤の胸に顔を寄せた。従順で無垢で健気なこの娘の幸せを叶えてやりたい、と後藤は雨で滑りそうになる手を握り直した。
「あ……1つだけ……」
「何だ?」
「奇跡は今日……です」
「……そうか」
力尽き腕の中で再び意識を失うユリエ。
誰もいない夜明け前の、荒涼感さえ漂う町を無言で後藤は歩き続ける。

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