15〜小さな傘

元々天気予報など当てになるものではないし、こんな町である。仰天するほどでないのは確かである。しかし、天候を操れる者などさすがの紬町にも存在しない。
「自然の力は偉大ということか」
追求してもどうなるものではないので、後藤はそうだ、と話題を変え待合室の方に首を向けた。
「若様の傍にいてやれ。まずは顔を洗ってきなさい」
「はい。でも」
ユリエは両手を合わせて満面の笑みをこぼす。
「朝食の準備を」
その台詞に後藤は目を丸くせずにはいられなかった。ユリエの瞳の奥を真っ直ぐに見つめる。迷霧など欠片もなく、また朝が来ればいつも通りの日常が始まると信じて疑わない目。あるいは医者に診てもらえば絶対に治ると思っているのか。この世に絶対という言葉はないのに。
いや、あった。
(俺はなんて馬鹿だったんだ……)
絶対ならすぐ傍にあるではないか。病室のドアに目をやり、後藤は拳を握り締めた。桐崎という名こそが絶対ではないか。自分が信じ続けてきた君主こそが、絶対という名を響かせ続けてきたではないか。桐崎若がいかに先代に比べ劣ると言われても、あの目つき、物腰は桐崎そのものではないか。いや、もう既に先代を超える人物へと成られている。
立ち上がりユリエの肩に手を置いて後藤は頷いた。
「そうだな。起きた時に何も用意してなかったんじゃあまたどやされる。調理場を借りて作ろうか」
一抹の不安、一縷の望み。そんな言葉に縛られていた自分が馬鹿馬鹿しいと、後藤は本気で思った。1も0もない、数値や確率などで推し量るものでもない。ただ、不変を絶対的に信じるのだ。信じるという事は絶望も希望も超越した先にある。
「あ、後藤さんはここに」
「どうしてだ? 私も手伝うぞ」
「後藤さんの仕事は」
箱を持ち上げて横に置くようなパントマイムを見せるユリエ。
「若様を守ること」
それから、ね、と首を横に倒し後藤に傘を手渡すと、ユリエは待合室へと消えていった。
それを見送るようにしばらく待合室の方を眺めてから、後藤は短く嘆息した。右手に視線を落とす。ユリエに手渡された傘は、自分には不相応な可愛らしいものだった。緑と黒のチェック模様で、持った手を下に垂らしても床につかない程、自分には短い。おそらくこの傘を差したところでずぶ濡れになるのは間違いないだろう。
こんなにも小さな傘で。
「立派だな。すごく、立派だ」
後藤は左手を右腕に沿え力を込めてみた。まるで手甲を装着したような硬さと共に右腕が1.5倍に膨れ上がる。1人で満足気に頷く後藤。これも日々の鍛錬の賜物だ。
ユリエがメイドであり続けるのなら、私はボディーガードであり続けようではないか。その為の筋肉なのだから。
最後にもう一度自分を奮い立たせようとして、後藤は更に右腕に力を込めた。その時。
木が折れるような、ひしゃげるような音が耳に届く。
「いかん……これは非常にいかん……」
見ると、握りこんだ傘の柄の部分が完全に粉砕骨折よろしく粉々になっていた。
「痛っ! ……ささくれが刺さりおった、まったく……」
壊れた傘をソファの上に放って、文句を言いながら後藤は何時間ぶりのトイレへと向かった。

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