12〜夢と冒険の世界

露骨に嫌な顔を見せる由香里に、湯浅は無言で頷く。
と、由香里がドアを開けた。
「今日限りで辞めさせて頂きます。短い間でしたがお世話に──なってませんが、どうもありがとうございました」
「待て待て! 何処行く気だっ!」
狭い車内を頑張って身を乗り出し、何とか服の裾を掴んで湯浅は由香里を止めた。
「だってイヤですもん、下水道に入るの。せっかく新しいスーツなのに。もうこうなったら記念イベントやってるわけでもないのに徹夜で並んでみました、みたいなノリでディズニーランドではっちゃけてきます。ここからなら遠くないですし」
「とにかく待て! 上司命令だ!!」
「辞めたんで信さんもう上司じゃないです」
「あーーっ!」
暗殺部隊から簡単に抜けられると本気で思ってるのか湯浅には分からなかったが、今ここで抜けられてしまうのは本当に困るのである。なんせこれから自分達が行く場所では由香里の能力は随分と役に立つ筈だからだ。
とっさに頭の中で閃いた事を湯浅は口にする。
「これから向かう先にもディズニーランドみたいな場所があるんだ、終わったら休暇やるから、な?」
途端に由香里の目が鋭くきらめいた──ように見えた。
「冗談ですよ、湯浅さん。私この仕事大好きですから。でもせっかく休暇くれるって言ってくれてるんですもんね。それを断るなんて失礼な事私には出来ません。御厚意、有難く頂戴しますね」
湯浅ははめられた。
由香里が満面の笑みで見返してくるのをかわす湯浅。初めから休暇が欲しくてこんな事をしたのだ。本当なら絶対あげたくないどころか無休でこき使ってやりたい気分だが、あげないと何をされるか分かったもんじゃない。
ある事ない事言いふらされたり、とにかく女は怖い生き物なのだ、と過去を思い出しながら湯浅はうな垂れる。
「元気ないですね。どうしました?」
いけしゃあしゃあと、と憎らしくさえ思えたが湯浅は何でもない、と答えた。
「とにかく、作戦決行時間の4時まで待機だ。あと2時間程か、それまで寝てていいぞ」
「私はいいですよ。信さん寝てください」
珍しく後輩らしい台詞を吐きやがる、と感動すら覚えながらも湯浅は首を横に振った。
「いや、俺はマンホールを監視してるさ。上に車止められたら敵わんからな」
「ですから、それは私がやりますってば。信さんに寝込み襲われるのなんて死んでも御免ですからね」
「それが本音か……俺はガキには興味がないんだ。だから安心して寝ろ……って何だその疑わしそうな目つきはっ!!」
「信用なりません。この前だって仕事サボってキャバクラ行ってたじゃないですか」
「ソ、ソレハ違ウゾ九条。俺はあの店に潜入捜査に行ってたんだ」
湯浅の弁解に思いっきり大きく溜め息を吐き出しながら、由香里は寝返りを打つように窓の方に向き直った。そして手をワイパーよろしく左右させて結露を拭き取ると、また息を吹きかけた。
「給料少ないし上司はエロいし……未来は暗いわねー……。あーホントディズニー行きたい。夢と冒険の世界へようこそ! か……いいなあ……」
「だからお前には興味ねえっての。ったくしょうがねぇ、一つやる気の出る情報を教えてやる」
「何ですか?」
「これから俺達が向かう先はな、ある意味ディズニーよりも夢と冒険に満ち溢れているぞ。古めかしい時計塔、広がる巨大な地下牢獄、動くがらくた、そして──魔女」
両手を広げ、さも夢いっぱいに語るとさすがに由香里も疑いの目つきのままだったが、興味を持ったようだった。
「日本にそんなのあるなんて聞いた事ないですよ」
「そりゃそうだ、トップシークレットの日本の暗部だからな。だから俺達が直接動いてるんだ。いい機会だから言っておくが、これから行く場所を日本だと思うな。世界中の何処でもない、それこそ御伽の国だと思え。そして仕事が終わったら全て忘れろ」
馬鹿にしたような顔で聞いていた由香里だったが、湯浅がいつになく真面目な顔で強く言い切ったので、それ以上何も言わずに黙り込んでしまった。
「ついでに言うと、ターゲットは今話した魔女だ。今まで詳しい説明はしてこなかったが、した所で理解するのを待ってるくらいなら見た方が早い。だから省くが、簡単に言えばその魔女に要人が襲われた。その後始末だ」
自分でもかなり簡単に言ったな、と湯浅は思った。しかしこれ以上説明しても伝わりきらないのは確かだろう。今大事なのは信じられないような世界を理解させる事よりも、その世界に対してある程度の覚悟を持たせる事である。真摯な態度で。
「わ、分かりました……」
由香里はそれ以上何も言わず、目をつぶってしまった。
(緊張感持てるじゃないか。おそらく混乱していることだろうが、あと2時間の間に覚悟を持って欲しいものだ)
湯浅は由香里を優しい眼差しで見つめた。
しばらくして、由香里が身震いをした。車内はエンジンを止めているので結構寒いのである。
「これ着ろ」
「え……いいですよ」
半目を開けて遠慮する由香里に湯浅はいいから、と半ば強引にトレンチコートを脱いで渡した。
「すいません……有難うございます」
着込んで再び目をつぶる由香里。実は眠かったようだ。
と雨の暗がりの中、正面からフロントガラスを突き刺すように光が差し込んだ。どうやら警備員のようである。
「ちっ……人が来やがった……ってやべえ!」
湯浅は大事なものをコートの内ポケットに入れたままだった事を思い出した。人が来た時に警察の張り込みだ、と言い張る為の偽造警察手帳である。
「おい、九条起きろ」
由香里を揺さぶるが、反応しない。
「おい、寝たふりしてんじゃねえ、起きろ、おい」
こんな1分も立たない間に本当に寝てしまったんだろうか、まったく目を開けようとはしない由香里。
非常にまずい展開だった。政府の特命故、見つかって不審に思われて警察に連絡されてもまったく怖くはない。しかし、この場所が注目されるのは非常にまずいのである。
「九条! ……しょうがねえ、悪く思うなよ」
意を決して、湯浅は<由香里に着せた>トレンチコートの内ポケットに手を入れた。
その瞬間、ホラー映画の住人のように由香里が眼をかっ、と見開いた。
「な、何するんですかっ!!」
「違う馬鹿! 警察手帳取らせろっ!!」
「やっぱり私の事狙ってんじゃないですか! 変態レイパーハゲ死ねっ!!」
湯浅の言葉などまったく聞かずに暴れる由香里。顔を殴られ、腹を蹴られ、髪を引っ張られ、腕をつねられ、指を噛まれてやっと警察手帳を抜き取って振り返った時には、もう人影は何処にもなかった。
「何処にもいないじゃない!」
「いや、本当に来たんだって! お前も見ただろ? ライト持った警備員みたいの」
「だから何処!? 最っ低っ!!」
それから湯浅は再び半殺しにされ、由香里は2時間の間まったく口を開かなかった。
しかし、幸いにも警備員は通り過ぎてくれたのである。今さっきの二人を見て何を思ったのかは分からないが、とにかくカップルとして誤認してくれたようだった。これも湯浅が念の為カップルを演じる事も想定して、青いフィアットを選んだおかげだったのだが、勿論そんな事を言ったら最初から下心があった、などと思われかねないので、それは胸の奥底に封印しておく事にした。
暗い海を見つめながら、湯浅は2度とこいつとは組みたくない、と思った。

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