10〜敢えて、会えて   >Op, Takumi

生温い風が二人の間を縫うように吹き抜けていく。
「さっすが」
匠はペーパーナイフを指先で器用に回転させると、手を引いてじんべえの中に戻した。
「いいの? 止めるなら今しかないわよ」
「俺、桐崎の親父に頼まれてたんだ。マリーを頼む、ってね」
「相変わらずの詭弁ね。<がらくた>ともあろう者が誰かにとって価値のある行動をするなんて──青い薔薇を創造するよりも有り得ないわ」
馬鹿にした口調で吐き捨てるマリエルに、匠は含み笑いを返した。
「分かる? やっぱり」
「当たり前よ」
匠が空を見上げると、マリエルもつられて見上げた。丁度月が雲間に隠れていくところだった。
「何を企んでいるの?」
空を見上げたままでマリエルが聞いてきた。
「お前の言ってる奇跡ってやつを俺も見たくなった、それだけの事」
「……本気? 散々それを止める側だったくせに」
「それは欠落巫女の為だったんだけどな。でもどうでもよくなった」
「妹が現れたせいで興味が薄れたんでしょ?」
「それとお前の正体を思い出したから」
こんな、誰からも必要とされていない、がらくたの如き存在こそが自分にとってふさわしい。誰かが必要としている者なんて、自分にとって価値はない。
と、匠はようやく合点がいったようにマリエルに振り返った。
「だからお前あの時心閉ざしたんだ?」
「そうかもしれないわね」
「まったく逆の事を当時は言ってたもんなー。そうだそうだ、俺あの時お前を止めようとしてたんだったな」
「考えが変わったのね?」
「んーちと違う。あの時は桐崎の親父がお前の事可愛がってたからな。だから俺は今程興味が湧かなかったんだ」
「ああ、がらくたの論理ね」
「失礼だな、お前」
「何を言ってるの、失礼なのはそっちよ。そりゃあね、自分が1人なのは分かってるけど、あんたに好かれるのは最高に不愉快で不名誉なのよ」
「それにしては──」
マリエルの顔を無遠慮にも覗き込みながら匠は続ける。
「あまり不機嫌そうじゃないな?」
「沸騰させるわよ? あんたの血」
「ははは、まだ自分の顔を赤く染め直したいのかよ?」
匠の冗句にしかしマリエルは答えずに、優しく微笑みを返してきた。そして匠の顔に手が伸ばされ、頬を一回転、軽く撫でたかと思うと次はその微笑み、それ自体がが近くに寄ってきた。互いにあと数センチ乗り出せば唇が触れ合う、そんな距離。
匠も冗句を言った時の意地悪な表情を辞める。
この後の展開は予想がつく──俺は目を閉じるべきだろうか? マリエルの覚悟を、目を閉じる事で受け入れるべきなのだろうか?
逡巡したのち、匠はやっぱり目を開ける事にした。自分でそんなセンチメンタリズムを考えてしまった事が馬鹿馬鹿しく思えてしまったからである。目を閉じて自分の心の中で反芻して、やっと覚悟を受け入れられる者など弱者で敗者で負け組だ。
二人の視線が絡み合う。マリエルがゆっくりと目を閉じるのを、瞬きもせずに匠は見つめる。
マリエルが目を開く。その表情は怒りさえ秘めているかのような強い表情である。
そしてマリエルは唇を動かした。
「さよなら、よ」
「そう来ると思ったよ。……誰もいらないってか」
「ええ。あんたが私に加勢したいのなら勝手にすればいいわ。でも私は別にそれを必要としない。無駄に空回りしているのね」
目の前で決別の言葉を口にするマリエルを、匠はただ黙って耳を傾け続けた。血まみれの顔に再び陰影が生まれる。どうやら長い雲が過ぎ去ったようだ。
ゆっくりと立ち上がる。
「分かった」
匠はマリエルの覚悟を受け入れたつもりだった。孤独を選ぶ、その覚悟を。ただ、受け入れはしたが自分の考えを曲げるつもりもなかった。それは一般に受け入れたとは言わないのだが、匠はその矛盾に気づいてはいなかった。
「お言葉に甘えて勝手に手伝わせて貰うよ。じゃ、また<その時>に」
一枚岩からひょい、と飛び降りる。それから振り返って少し大きめの声を響かせる。
「俺を惹きつけるお前が望む故郷ってのは、いったいどれ程素晴らしい世界なんだろうな?」
マリエルは視線を宙に彷徨わせた後、口を開いた。
「そうね、春のこの場所よりもきっと素敵な世界よ」

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