18〜心理戦・凪:1   <君の呼び名> 

「次は凪んか。じゃ、こっち座りなよ」
凪がドアを開けた瞬間、先生が納得したように頷いた。
先程と同じく長テーブルの上座、窓際に鎮座ましまし先生は手招いている。赤く腫らした目を気取られたくない、と俯きながら横に座る凪。
「凪んも大変だよねー」
先生がその小さな顔で下から覗き込んでくる。屈託のない笑顔。泣いているのが恥ずかしくなってくる程の。
「そ、そうですか?」
「うん、だって<生身>の人間がこの町で頑張ろうとしてるんだもん。大変だよー」
「そりゃあ、まあ……」
「まーでも先に匠んに会えてよかったよね。先に会ったのが若んだったら強制送還決定だかんね」
「あ、あのー」
「ん? どしたの?」
<何て呼べばいい?>
そう言いたいのだが、言葉にしていいのか分からない。
匠に先生は自分の名前を知らない、と聞かされている以上それを聞くのは悪いのかもしれない、と手振りだけ先走ってしまう凪。そんな凪に先生はいいよ、と言った。
「僕の呼び方なんか何でも。先生には確かに見えないからねー。そもそも先生って、先に生きている分経験や知識を持っていて、それを後から生まれてきた者達に教授するからこその先生だもんね。僕、君や匠んよか年下だし」
「えええ? そうなの? あ、いやそうなんですか?」
「うん。見た目で分かるじゃんか。何かショックー。凪んそんな風に思ってたのー?」
「この町なら見た目と歳がかけ離れているってのも有り得るかなー……とか思っちゃったり……すいません」
「まーいいんだ、外から来てこの町で色々不思議体験した凪んならそう思うだろうし、何より僕は知っていたしねー。
さっき凪ん、僕が先生って呼ばれて年上だと思ってたでしょ」
「う……はい……」
何もかも見透かされている、その事で凪はようやく匠が怯え、桐崎が敬意を払っていた理由を実感した。笑顔は子供のもので間違いないのに、その器の中に秘められているものは子供のそれではなかった。
「うー怯えないで欲しいな。僕、凪んの事好きだから」
感情は歳相応らしい。先生は半べそをかきながら凪の手を取った。
「ごめんなさい、そんなつもりじゃなかったんですけど……。じゃあ、親しみやすく呼びたいんですけど、どんな風に呼んだらいいですか?」
「それは何でもいいんだよう。それに僕は年下だから敬語なんてやめてよー」
「分かりまし──分かった。んーじゃあ匠は何て呼んでいるの? あなたの事」
「僕がいないとこでは嘘憑きで、僕の前だと先生。匠んは卑怯だから敬語使わせてるんだー」
さっきまでの泣き顔は何処へやら、先生は凪の手を握ったまま嬉々として答えた。確かに子供だった。
「んーどっちも呼びづらいっす。──そうだなあー」
と凪は窓の外に目を向けて一思案。それからいいのが思いついたとばかりに振り返る。
「くぬぎ君!」
「それ視界に入ったものじゃんか!!」
「じゃあ……サム、とか?」
「外人かよ!? しかも思いつきじゃんか! ちゃんと考えてよー」
「何でもいいって言ったじゃん。それに、考えてたら全てを知っちゃう君は私が言う前にダメーとか言っちゃいそうなんだもん」
「そりゃーそうだけどさー、でも嘘憑きから連想して英語でライ、とかさ」
「外人じゃん」
「う……」
「あーもう決めたっ! 君はサムよ、サム。決定ーっ」
「酷いよ凪ん……」
「う……嘘よ嘘。じゃあ先君で」
「あ、それならいい感じだねー」
先生、もとい先が満足気に顔をほころばせた。
「そろそろ始めようか」
先が笑顔のままそう言った。
「ちょ、ちょっと待って──」
まだ心の準備が出来ていない凪は、今までの和やかな会話から一転、希望か絶望かをはっきりさせなくてはいけなくなった状況を受け入れたくないと手を振った。心の奥ではまだ躊躇していたいのだった。
朗報なら知りたいと思う気持ちと、そうでないなら知りたくはないという気持ち。まったくのエゴであったが、全てを受け入れる準備などこの町の何処においてもさせてくれなかったし、出来る状況でもなかったし、それほど諦観も達観もしていなかったのだから、
しょうがないといえばしょうがない事ではあった。
だが何かを知ろうとする者は、それに対して受け入れるだけの覚悟を持たなければならない。そうでなければただの現実からの逃亡者である。
ただ、吉とも凶とも言えることに、凪が今質問をする中で答えの中に嘘が一つ混じる。
最悪の答えの場合それだけが頼り、と凪は「さあ」と促す先を前にして深呼吸一つ、それから様々な葛藤をどうにか頭の奥の片隅へ押しやり、分かった、と呟いた。 

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