2〜目覚めの戯れ言

アトリエ・沖田唯一の部屋を出ると、がらくたの山が昨日の朝と変わらない状態でそこにあった。うず高く積まれたこれらを陳列と言って憚らない匠は、本当にがらくたの事を好きなんだろうか、と凪は思ってしまう。
その匠を探す凪。幸いにも目が暗順応していた凪は、足音を立てないようそっと1、2歩進むとゆっくりと回りを見る。
電気をつけようかとも思った凪だが、まだ4時だったし匠を起こすつもりもなかったので、止めた。
それ以前にスイッチの場所が分からない、という問題があったが。もっと言えばスイッチがあったところで、まともに作動するかどうかも怪しかったという理由もあったが。
と、凪はがらくたの山の1つ、ヌイグルミと人形達の中に匠を発見した。匠自身もその一部であるかのように埋もれている。
大きな熊のヌイグルミを抱いて眠っているその様を見て、凪は声を上げて笑いそうになってしまった。
(あぶねーあぶねー)
まったく卑怯だ、凪はどうにか堪えて目を背けた。しかし気になってしょうがない。もう一度見る。
(頭の上にシャム猫ーーッ!!ありえねー!!)
窒息する、と凪は本気で思った。
後ろを向き深呼吸、1、2、3。
ようやく治まって顔を上げると、丁度目の前にピエロの操り人形がある事に凪は気づいた。
確かピエトロ君だったっけ、人形の名前を何とか頭の隅から引っ張り出す。
(ーー思えばこの人形こそが、匠との今の関係を作り出してくれたのかもしれない。
私が暴れたからーーこの人形の額に、よく分からないけど傷がついたから、今匠と一緒にいられるんだよね。そうじゃなかったらーー)
後藤に連れ去られ、姉の元へは行けなかっただろう。
凪はスキンヘッドを思い出し身震いした。
そう思うと凪は何だかこの人形に感謝したくなってきた。
「ありがと、ピエトロ君」
そう言って凪は人形を手にとると、よく分からない額の傷とやらにキスをした。普段の凪だったら柄にもない、と思うところだったが、今は何故かそうは思わなかった。
それから優しく戻そうとした、その時。
「ようやく僕の良さが分かってくれたんだねっ!嬉しいよっ!」
人形が、喋った。
いや、気のせい、あるいはーー
と凪は後ろを振り返ったが、匠はさっきと同じ格好で寝息を立てている。匠ではないようである。
「ピエトロ君?」
念のため匠の方を向いたまま、凪は今一度人形に問いかけた。
「どーしたのさ?凪ちゃん」
匠は喋ってなどいなかった。というより、声は明らかにこの人形から発せられていた。
「しっかし、戯れ言よね・・・」
「そうか?」
いきなりの匠の声に、凪は驚いて一歩飛びのいた。その先にはがらくたの山の一つがあり、運の悪い事にその山は機械類だった。機械の角に背中をぶつけ、悶絶する凪。
「っ!・・・いきなり脅かさないでよ・・・」
背中を摩りながら匠を見ると、匠は目を擦り伸びをしながら身体を起こしていた。
「起こしちゃったか・・・」
立ち上がり凪は続ける。「で、何が<そうか?>なの」
「戯れ言。よーするにお前もピエトロ君と仲良くなれるって事さ」
「さあ。私は忘れるわ、今の事」
匠が何を言ってるのか分からなかったが、凪は独り言を聞かれたのが恥ずかしかったので、話題を変えることにした。
「私、行くね。お姉ちゃん、きっと待ってるから」
匠は今どんな顔をしているのだろう、と凪は思った。しかしそれを確認するには凪も顔を向けなくてはならないのであり、その勇気ーーと言えば少し違うのかもしれなかったが、顔を向けて尚、どんな顔をしていいのか、あるいはどのような表情を浮かべたとて匠を見続ける自信は凪にはなかった。
ようやく踏ん切りがついたか。今更分かったのか。自己満足か。
何を言われるのかは勿論分からなかったが、匠の台詞によって自分の不安定な、さながら粘土細工のような、いくらでも形を変えられる今の心が別の形に固定されるのだけは避けたかった。
粘土細工。自分で形作っていく事ができるが、他人が手を伸ばして変える事も出来る。今の凪は後者の確率が圧倒的に高かった。いや、全てだった。
自分で姉を助けると決めたものの、何か横から言われたら簡単に形が変わってしまうかもしれない心。
「今日はありがと。じゃあ」
凪は着崩れたパーカーを直すフリをしながら、匠を見ないように横を通り過ぎた。その肩を、匠が掴む。
「夜は出歩かない方がいい。この時間はーー絶対基準隣人<ハーフグレイ>の活動時間だ」
「何よ、それ」
またワケの分からないものが出てきた、と凪は首を傾げつつ匠の手を払った。
「人類すべての敵って所かな。とにかく、アレには俺でも手を焼いてるんだ、お前が行ったらどうなるか」
そこで匠は言葉を切った。凪はまた目を逸らし、舌打ちを露骨に鳴らす。
「私は決めたの。邪魔しないで」
「分かった。そして分かってきな。そのドアを開けて」
お前は何も知らない。またそう言われている。
そして、知らない事だらけのこの町で<それ>に恐怖したりするのはもう、この町で生きていく資格がないように凪は思えた。だから、匠が初めて止めろ、と言ったこの事はむしろ凪には行け、ゴーサインだと、そう思えてしまった。何かの間違いで、どこか回路が外れてばらばらに組み直されて、そう思ってしまった。
「さよなら」
扉に手をかける凪。一度も匠の目を見ずに出て行く、その虚勢の目標は達成された。扉をゆっくりと開ける。
夜の闇が広がっている。
そして凪はふっと空を見上げた。星が微かに伺える空。ここは知らない町だけど、同じ日本である、それだけで少し安堵する。
視線を戻す凪。
「んー。公平にー。公平にー。君を裁いてあげよう」
目の前に、長身の男性が立っていた。燕尾服とシルクハット、そしてそこから覗く長いウェーブがかった髪の毛が異様に目立つ。
若そうだし、元はとても綺麗だったのだろう。
凪はその男の目を凝視した。正確に言うなら目、だったろうものを。
男が笑う。ハチマキ状の眼帯に取り付けられた<楔>は、男の両眼を貫いていたというのに。

<<前目次次>>
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送