荼毘の煙が紬町の空へと昇っていく。風はなく、小さな雲がいつまでも留まっている。
一日経って、町は今とても静かだった。奇跡による死者はいったい何人に上るのかそれは分からなかった。奇跡に侵食されても生き延びるものもいる。ただ確実に紬町はより不思議な、不可解な、不明瞭な、不安定な町になった。
嵐の後のようなこの静けさは、まるで死者を弔うかのようである。しかし嵐の前もまた同じだけの静寂が存在する。これから町がどうなっていくのかは誰にも分からない。けれども今はこの静寂がいい。それはこの紬町の誰もが思うところだった。

桐崎邸の百合園の中。
五度目の黙祷を凪は捧げていた。目を閉じる度に大好きな姉の姿が浮かんでくる。最初は涙をどうする事も出来なかったが、今は何とか我慢できた。
いつ堰を切って溢れ出すかは分からなかったが、それでも今我慢できて良かったと凪は思った。横にいるユリエも同じだけ悲しい筈なのだ。そのユリエが必死に耐えているのかと思うと、自分だけ延々と泣き続けることが申し訳なく思うのだ。
「凪様」
遠慮がちなユリエの声に、凪は目を開けた。見ると憔悴しきった顔に無理矢理な笑顔を浮かべたユリエが立ち上がっていた。
「雪様は」
一旦言葉を切った。
「笑顔ですか?」
「……うん。桐崎さんは?」
「優しい笑顔です」
「そっか。そうだよね……。だって二人ともこの町を守ったんだから」
墓碑のない九つの墓を前に凪は立ち上がった。涙が溢れてくるのを我慢できない。
凪は顔を見られないようにしてユリエをきつく抱きしめた。ユリエの身体が小さく震えているのが全身に伝わる。
「凪様」
ユリエが小さな声で呟いた。
「奇跡って……」
そこまで言って、ユリエは迷うように言葉を詰まらせた。
「なあに?」
「……何だったのでしょう?」
「──止めなければいけないもの、だよ」
それ以外に答えは持っていなかった。もしそれ以外の答えがあるのだとすれば──姉と桐崎若、そして後藤達の死が無駄になる。そんな答えは認めたくはなかった。
「そう……ですよね」
ユリエの言葉はどこか歯切れが悪かった。
「どうしたの?」
「あの、マリエル様の……」
ユリエは凪の身体から離れた。軽く涙を拭って、また申し訳なさそうに答えた。
「気持ちも、考えて」
言葉を忘れぬよう呼吸を落ち着けて、ユリエは続ける。
「しまったもので」
深々と頭を下げるユリエ。凪の前でマリエルの話をする事はいけない事だと思っているらしい。
「そっか」
別に怒りは起きなかった。
凪にとって確かにマリエルは憎らしい存在だった。しかし昨晩匠に話を聞いて、少しだけではあったがマリエルの事を可哀相だな、とは思えるようになっていた。マリエルのしようとした事は許せるものではなかったが、けれどもし自分がマリエルだったらどうしていただろうか。
考えようとして──止めた。結局そんな思考に意味などないのだ。
「優しいね、ユリエちゃんは。私はやっぱり許せないな」
「そう、ですよね」
少しユリエが肩を落としたように見えた。その意味が凪には分からなかった。ユリエはマリエルの事を気に入ってるのだろうか。
「……でも奇跡のおかげで私が戻れた事も確かだからね。それは──認めてあげようかな?」
奇跡に侵食された自分の身体を凪は見下ろした。少なくとも意味はあった、それは間違いなかった。
「行こう、ユリエちゃん」
「……そうですね」
次に会ったら一発殴って、それで許してやろう。
九つの細い煙を背に二人は歩きだした。
やはり風はなかった。

「おかえり」
屋敷の横、庭に置かれたテーブルについていた匠が、ピエトロ君をいじる手を止めて凪とユリエを出迎えた。卓上には三つ、お茶が淹れられていた。
「珍しく気が利くじゃん」
「ユリエちゃんの為だよ」
凪の皮肉気な台詞はやはり匠には通じなかった。
「あっそう」
口を曲げて、凪も席に着く。喉が渇いていたので、すぐに口をつけた。緑茶特有の苦味が口いっぱいに広がる。
「うぇ……やっぱお茶って人によって味が変わるものなんだね……」
「変わんねえよ馬鹿」
「嘘。ユリエちゃんが淹れるのは美味しいもん」
「いいや同じだね。ユリエちゃんも言ってやってよ、同じだってさ──ってユリエちゃん?」
そこで匠はユリエが席についていない事に気づいた。凪もお茶を持ったままユリエの方を見る。
「匠様」
ユリエは言うなり頭を下げた。
「え!? 飲んでくれないの?」
「違います違いますっ」
慌ててユリエは首を横に振った。
「すみませんが」
腰を低くしてユリエは祈るように手を合わせた。
「もう一つ」
そして言いながら湯飲みを差し出した。
「淹れて頂けますか?」
匠は湯飲みを受け取りながら、
「ああそうか」
と四つ目のお茶を淹れた。
「ん? 誰の?」
凪が誰何の声を上げて匠を見たが、答えてはくれなかった。しょうがないのでユリエに目を向けると、ユリエは一瞬迷った素振りを見せた後、一人小さく頷いて屋敷の二階へと目を向けた。
凪が追った視線の先には、一つだけ窓が開け放たれた部屋があった。本がたくさん並んでいるのが見える。
その部屋の中に、人影が見えた。椅子に座って本を読んでいる。
ロッキンチェアーだろうか。
寂しげに、赤い影が揺れた。

<了>
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