20〜眠れシニシズム

当時少年だった桐崎若には父、桐崎宗治が写真や自画像を何故嫌うのか理解出来なかった。
目を閉じて尚頭に思い浮かぶ者であればそれでいい。
そう言って結局死を迎えるまで貫き通した矜持は、確かに桐崎若の心の中に離れぬ強烈な焼印となって桐崎宗治という支配者像を残した。
そして家督を引き継いで数年、父の言っていた言葉の意味が今では痛いほど分かっていた。
恐れられる事、親しまれる事、忌み嫌われる事、愛される事。どれでもいい、そのどれをも含んで人々の心の中に強く桐崎という名を、顔を根ざす事が、支配者である証なのだ。絶対的な名を、桐崎の名を。
その意味を自分なりに理解してから、桐崎若は父を更に畏怖するようになった。息子である自分にさえ、写真を渡さなかった徹底ぶりだったからだ。
絶対君主、桐崎宗治。
紬町を支配し、人々に恐れられてきた者。しかし最初の奇跡を止め、以後奇跡が復活せぬよう尽力を尽くしてきた、英雄でもある。
支配者としての務めを果たし死んでいった、尊敬すべき父。
しかし今その想いは、たった一枚の写真によって崩れていた。存在する筈のない写真が存在していた。それも奇跡を願う、奇跡から生まれた者の手の内にあるのだ。それは矛盾以外の何ものでもないではないか。そこまで貫き通した自分の道を、何故マリエルにだけは押し曲げたのか。よりにもよって。
「桐崎宗治は私の存在を許した、唯一の人間よ」
マリエルは確かにそう言っていた。桐崎宗治とマリエルの間に何があったのかは知る由もない。
ただ一つだけ言える事は、そこには強い愛情があったという事。支配者としての道を曲げてまで手渡した写真は、つまりそういう事なのだろう。
奇跡を忌み嫌いながらも、奇跡を願うマリエルに愛情を注いでしまった。
そういえば必死に守ってきた母胎門は実は開く事のない門だった。そしてマリエルの事はその存在すら、息子である自分に教えてくれる事はなかった。
「な、んだ……父も」
風穴の開いた腹腔から流れる液体に連動するように、口から血を溢れさせて桐崎は呻いた。
父も、ただの人間じゃないか。
言葉には出来なかった。翁が腕を引き抜いて、桐崎の身体は支えを失った戸板のように前に倒れた。途中、マリエルの身体にぶつかった。一瞬彼女の腕が動いたように見えたが、抱きとめようとでもするつもりだったのだろうか。
やめてくれ、父から支配者の心を奪った女。――貴様は本当に魔女だよ。
倒れ伏した桐崎の身体を、衝撃で大きな痙攣が襲う。今までにない量の血が、口から噴き出される。
ずっと追い続けてきた父の背中は虚偽で欺瞞で幻想でしかなかった。その姿を信じて秘匿し続けてきた想いが悔やまれた。
あの手の掛かる私の侍女は無事だろうか。その笑顔に何度助けられた事か。駆けつけてやることは出来なくなった。どうか無事生き延びて欲しい、ただそれだけを願う。
支配者として──
違う。
これは私の──

桐崎の意識はそこで永遠に途切れた。

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