違う。

こんなのは、俺の望んだ世界じゃない。

1〜子供達

「ねえ……」
雪は一人呟いた。たった一分程前までは騒がしかったこの場所は、今はうって変わって静かだった。例えでも何でもなく、戦場の後だった。
「凪……」
腕の中で気を失っている妹を揺する。外傷はないが、目覚めなかった。
「若君……」
凪をそっと横たえて這うように桐崎に近づく。桐崎も血を流しすぎたのか、苦悶の表情のまま目覚めない。
雪はようやく涙が滲んできた瞳を乱暴に拭うと、今度は匠へと近づいた。
もはや誰でも良かった。誰でもいいから、返事をして欲しかった。
「匠君、匠君」
愛する者を傷つけられた怒りもあったが、今はそれでも声が聞きたかった。欠落巫女になっている間、何故だか匠の声だけは聞こえたのだ。それが意味する所は雪には分からなかったが、その事が雪を孤独の苦しさから救ってくれていた事は事実だった。
だから、匠は反応をしてくれると思ったのだが。
「匠君……!」
呻き声一つ上げない匠の甚平の裾をぎゅっと握りしめる。
前を向く。自分にはどうする事も出来なかった奇跡が、壁のように眼前にそびえ立っている。
雪は転がっている石を掴むと、腹の底から叫び声を上げて光に向かって投げつけた。
音もしなかった。
「ぅ……」
音の失われた世界にいるようだった雪に、ふいに微かな声が届いた。
雪は驚きと嬉しさが混ざった表情で声のした方へ反射的に振り向いた。ほんの僅かだったが、心に希望が芽生えたのは確かだった。
しかし、振り向いた雪の顔はすぐに翳りを見せた。
声を上げたのはマリエルだった。だが意識は完全には戻っていないらしく、瞳の焦点が合っていない。
「……魔女……マリエル……」
雪は目覚めた後に、桐崎に簡単に説明されたマリエルの事を思い出した。
全ての元凶。
ひどく簡単な説明だが、雪にはそれで充分であった。それだけで目の前の魔女を恨む事が出来るのだから。
「あなたさえいなければ……!」
無気力になりかけていた足に、立ち上がる力が蘇った。雪は歯を噛み締めながらマリエルへと近づいた。
力なく横たわるマリエルは焦点の定まらない瞳を少しだけ動かした。雪とは認識できていない様子である。
「ぁ……く」
救いを求めているのか、土に爪を立てながら腕を伸ばしてくるマリエルに、雪は嫌悪感を剥き出しにしながら捕まらないように足を一歩引いた。
「何よ……これだけの事しておいて助かろうっていうの……?」
見苦しさに吐き気すら覚え、装束の袖で口を塞ぐ雪。
やがて辿り着けなかったマリエルの右腕が力尽きてがくっ、と地面に落ちた。
「そ、そうよ……そこで死ねばいいのよ……!」
まだ微かに意識が残っているマリエルから目を離さずに吐き捨てる雪。そのマリエルは、何かを喋ろうとして口から血を溢れさせた。
「く……び……」
吐血の度に身体を痙攣させながらも、それでも何とか声を絞り出すマリエルに雪は怪訝そうな顔を向けた。
「く、び……?」
雪が聞き返すと、マリエルは何も掴めなかった右腕を軸にして、反対の左腕を地面に垂直に曲げた。そして力を溜めるようにたっぷりと時間を取ってから、勢いをつけて全身を半回転させて仰向けになった。たったそれだけで、詰まった排水口に殺到する水のような音を上げてまた血を吐いた。
それを見て、何故だか雪の胸は締め付けられた。
けれども雪自身はそれを吐き気の延長だと思い直した。
「お……こしな……さい……」
あくまで気高くマリエルが言い放つ。雪はマリエルに合わせた視線を凍りつかせたままで、短く笑った。
「馬鹿じゃないの……私が助けるとでも思ってるの?」
視線が交わり合ったが、マリエルは一言も発さなかった。
「それに今更何をしようって言うのよ? この町は、私達は、もう終わりなのよ……?」
諦観に泣き笑いを見せる雪。どういう顔をすればいいのか分からない、といったように頭に手を当てる。
その時、また一人瀕死の声が上がった。雪から見ればまだ子供の、しかし諦めてはいない声である。

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